
| 1902 明治35年 |
川上謙治氏、魚津市の12代続いた薬卸売の次男に生まれる。 | ||||||||||||||||||||
| 1906 明治39年 |
8月28日、酒井武雄氏札幌市に生まれる。 | ||||||||||||||||||||
| 1906 明治44年 |
函館市に「函館郵便局」(現「豊川町」)が完成する。 北海道に郵便局が発足したのは1872年(明治5年)であり、 同時に北海道最初の郵便役所が中浜町(現「大町」)の 海関所内に開設された。 その後、幾度か場所を変え、現在の建物で約50年に渡り業務が行なわれた。 |
||||||||||||||||||||
| 1914 大正3年 |
酒井武雄氏8才の春。酒井家、当別トラピスト教会、工事勤務のために当別村に移住。 | ||||||||||||||||||||
| 1923 大正12年 |
川上氏、日本楽器製造株式会社(現、株式会社ヤマハ)の職工として入社。 | ||||||||||||||||||||
| 1926 大正15年 |
酒井氏20才、函館師範本科を卒業。 第二付属小学校(現 亀田小学校)、市立中(現 函館東高校)、函館中(函館中部高校) 聖保禄女学校(現 函館白百合学園高校)で教鞭をとる。 −在学中のエピソード− 酒井先生はよく、ろうそくを灯し、ピアノの練習をして有名だったという。 |
||||||||||||||||||||
| 1931 昭和6年 |
川上氏、オルガン図面を構成できることから、オルガン制作チームの一員となる。 (東京 本郷 聖テモテ教会 日本初のパイプオルガンを制作する。) |
||||||||||||||||||||
| 1934 昭和9年 |
3月21日、歴史に残る「函館大火」。酒井氏28才の春。 午後5時頃、仲町、住吉町他4町で漏電騒ぎがあり、ポンプ車出動。 更に午後6時頃、全市停電により暗黒化し、住民の不安を一層募らせ、 午後6時50分「住吉町91」杉沢方から発火。 旋風で屋根を吹き飛ばされ、2階切抜炉にあった残火が風に煽がれ、 2ヶ所に飛び火した。 木造建築の住吉小学校を炎上し、火焔渦をまいて周辺に猛火全市に広がる 大火災となった。 この函館大火で沢山の市民が亡くなり、焼きつくされた町並みは想像を越える 悲しい出来事となりました。 汐見町にあった酒井先生のご自宅も数ヶ月前に購入したばかりのピアノも焼失。 そこで、元町カトリック教会のオルガニストでもある酒井先生へ教会より 「オルガンか自宅のどちらかを買いましょう。」という申し出に 即時「オルガン」と希望されました。 なお当時のお金で3000円 −この時期の物価指数は−
函館大火の日、世界では新興ドイツの指導者ナチスがミューヘンにおいて、 結成14年目にあたる祝賀会が行なわれたと報じられた。 函館大火に日、日本では「日本マッチの進出に脅かさる!」 スウェーデン駐在の白鳥公使より外務省へ到着した公電により、 日本マッチ世界市場進出に驚異を受け、スウェーデンのマッチ業者は、 この問題に協議申し入れを報じた。 12月2日 川上氏 元町カトリック教会特注リードオルガン (17ストップ敷き2段鍵盤式、川上氏足鍵盤付き) この日特注リードオルガンを設置、調律する為、函館を訪問、教会に納品される。 発売元 札幌富貴堂楽器店 多米宏氏 制作者 日本楽器製造株式会社 川上謙治氏 昭和9年12月2日、川上氏にとって、生涯忘れる事のない日になる。 作業中の悲報に急いで帰路につくが、既に長男は亡くなられていました。 |
||||||||||||||||||||
| 1934 昭和9年 |
酒井氏 川上氏と出会う。オルガン設置後、その場でオルガンを演奏。 実に、大火より256日ぶりであったが、川上氏の悲報に容体を心配し、 ミサ曲を演奏、神に祈りを奉げる。 |
||||||||||||||||||||
| 1946 昭和21年 |
酒井先生40才。 トラピスト修道院創立50周年記念式典にて、酒井先生作曲による新曲を、 ご自身により伴奏される。 |
||||||||||||||||||||
| 1959 昭和34年 |
酒井氏53才。 第10回函館市文化賞授賞 聖チュテリカ混声合唱団指揮者 NHK函館放送合唱団指揮者として活躍 |
||||||||||||||||||||
| 1968 昭和43年 |
酒井先生62才。 教職を辞する。 この年の10月14日に、日本だけに限らず世界中の多くの人々の心によって その姿を現した元町カトリック教会のリードオルガンは酒井家の歴史に深く刻まれ、 自ら、娘の結婚式や身内の葬儀にオルガンを鳴らされ、 そして、武井氏の葬儀にも、このリードオルガンが響き渡ったとのことです。 その後、酒井家の歴史に深くかかわったこのリードオルガンが函館を離れる。 |
||||||||||||||||||||
| 1970 昭和45年 |
インターナショナルスクール札幌校 スミス校長が元町カトリック教会にあったリードオルガンを所有される。 |
||||||||||||||||||||
| 1990 昭和55年 |
スミス校長が本国へ帰られる為、札幌パームホーム茂泉氏が リードオルガンを所有されることになる。 |
||||||||||||||||||||
1990 |
7月、札幌パームホーム茂泉氏より「オルガンの歴史を調べて行くうちに 8月、川上氏2度目の訪函。 9月。リードオルガンが修復のため函館を離れ、一路、川上氏が待つ |
||||||||||||||||||||
| 1992 平成4年 |
こうして歴史に残る昭和9年3月21日の函館大火から58年以上も流れつづけている時代が、 また、懐かしく鮮やかに蘇って永遠の音色を奏でるのです。 |