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修復にあたって このリードオルガンは、川上謙治さん(現在95才、楽器店経営)が、 昭和9年に製造したもの。その川上さんが、平成3年、57年ぶりに オルガンに対面、約7ヶ月という時間をかけて、復元修理にあたり、 見事よみがえらせました。 川上 謙治 氏 生年月日/明治35年5月6日 大正12年12月12日/ヤマハ(日本楽器製造・株)入社 昭和23年4月/川上楽器設立 戦後、川上楽器を設立、現在東京渋谷にある 川上楽器会長 主な公職/株式会社 川上楽器 日本国際ギテオン協会渋谷支部チャプレン 東京富山県渋谷支部顧問 |
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函館明治館コンサートホールでは、川上氏の修復風景を展示しています。
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川上謙治さんのお話し
函館明治記念館のヤマハペダルオルガンに就いて
平成4年6月19日昭和9年(1934)今から58年前、北海道函館市の聖パウロ女学院の
音楽の酒井武雄先生と仰言る方の、 ご自宅のオルガンが、函館大火災で焼失され、
当時の教え子達から、オルガンを献上されることとなり ました。
札幌市の富貴堂楽器に依頼され、ヤマハペダルオルガンを
浜松の日本楽器、現在のヤマハ株式会社に発注されました。
このペダルオルガンは、当時定価4,000円であって、
今日の価格では2,000万円くらいに相当するものと思われます。
内容的には、パイプオルガンのスタイルに似ており、
Cケースで、ストップ数22個、グレートスエルの2段鍵盤、
ペダルキーは30本でリード2列、ドイツ製リード及びブロワー付き、
リード数、577本と言う大型の大変素晴らしいものです。
私はここで、このオルガンを贈られた方と贈った方との間に醸し出された、
美しい恩愛いの情とその陰にある、神の深いご恩籠を思いまして、
そこに神の大いなるご栄光を拝し、深い感謝を賞賛を就げず
にはおられません。私はこの深い恩返しに応える、
オルガンの設計図面の作成の任に当たりましたことは、
無上の栄光で私は恐懼におののきました。
もとより、これは私自身の力によって出来るものではありません。
私にとって、奇しくも結婚した感激の年でもあったのです。
社長を始め、課長、職長、社員工員の方々の深い理解、ご協力があってこそであり、
またお客様のご愛願の賜ものであり、家族の陰の力もあったわけです。
とりわけ忘れてならないのは、神のお助けの賜ものであり、
感謝と忍耐と祈りをもって励みつづけたことです。
皆様のお陰で完成に向かうこのオルガンが、奏者の美しい心を通じて、
多くの方々に美しい音色を伝え、感動を呼ぶことが出来るとはなんという光栄でしょう。
実は昭和9年12月2日、私が33才の時、函館市へ納入に出張いたしまして、
最後の調律を行っている際、突然思いがけない電報が届きました。
長男(1才)危篤すぐ帰れ、といってきたのです。
私は、大変なショックを受けました。
有終の美を飾ろうとしている時に、何ということだろうと途方にくれました。
当時は飛行機も特急列車もないので、不安に包まれながら浜松に到着し、
電車に駆け込み自宅に着きますと、妻も義姉も懸命に看護を尽くしているところでした。
然し熱心な医療と介護の甲斐もなく、長男は息を引き取りました、肺炎でした。
どんなに苦しかっただろうかと、何とも言えぬ憐れな気もちが心の中を駆けめぐり、
妻も義姉も悲痛の極みで涙にむせぶのみでした。
私はショックのあまり、廊下で倒れ、義姉は恐がくのあまり、慌てて、
裸足のままお医者さんの処へ飛んで行くしまつです。
幸いお医者さんは直ぐ来て下さいました。
やがて私の枕下で、 ああ、よかったな!脈が出て来たな、とお医者様の叫ばれる声を聞いた時、
私は、ハッ!と気付き、ああ!自分は一度仮死状態となっていたことを知り、
若しもお医者さんが不在だったら死んでいたのかもしれないと思い、
真に有難いな!と感謝に堪えませんでした。
私は生きながらえたお陰で、57年ぶりに、このオルガンに再会出来たわけです。
57年間ただ1回も調整、調律にお伺う機会がなかったのです、
又かの地では充分に面倒を見てくれる方がいなかったようです。
さて、このオルガンのこよなき愛好者、酒井先生が召天されてからは、
或神父さんの手に渡り、更に転々として、最後は不思議なご縁で、
函館市最大の水産業の柳沢勝氏が所有することになりました。
同氏は若干49才の大実業家で、本業を母体として、
函館郵便局舎の移転改築に際し、その旧舎を譲り受けられ、
煉瓦造りの大きな広い屋内に、明治記念と称する資料館を設けられ、
その他大きな土産店の併設、スポーツランド、
或は素晴らしいロイヤルホテルも設立されているのです。
函館市に降り立った観光客は、必ず立ち寄られるという名所になっております。
函館市民のため、1人でも多くの方に喜んで満足してもらえることを、生涯の念願とされ、
寝食を忘れるほど、早朝から500名の従業員の前に率先垂範の働きをされておられ、
これだけが唯一の趣味で、他にご趣味がないと御言っるので、私はただ頭の下がるばかりです。
このオルガンも更生して、市民の方々に喜んでもらえるようになって欲しいとの願いを込めて、
手に入れられた希な篤志家、柳沢氏のご熱意にほだされ、私も出来る限り努力することを
お誓いいたしました。
この種のペダルオルガンは、需要が極めて少なく、技術者も限られております。
今日では先輩はほとんど他界され、同輩も高齢でほとんど仕事をされておりません。
材料の調達、工具の整った工房、工具の助力などを考えますと、
東京の川上楽器の工房にお預かりするしかないので、昨年9月26日に工房に届けていただきました。
ピアノより大きく又、重いので、エレベータは使用出来ず、クレーン車で搬入しました。
昨年暮のクリスマスまでに修理調律を完了して、お届け出きると思ったのですが
現実は、予想を遥かに延引し、既に8ヶ月もかかってしまいました。
なぜ、最初の見込みが甘かったといいますと、実は8年前に西川ペダルオルガン(ストップ14個)を
修理調律した時は1ヶ月半で完成したからです。
このオルガンは50年を経過していたものですが、この所有者であるプロの奏者
(西本願寺立正宏正会聖堂のパイプオルガンの専属のオルガニスト)伊藤完夫先生は
日頃、息子さんとお2人で適当に、メンテナンスを施しておられましたし、
環境も乾湿の差が少なく、安定した位置にありましたので、左程傷んでいなかったからよかったのです。
ところが、このヤマハペダルオルガンは設置場所も幾度も変わり、乾湿の悪影響をこうむり、
それに適当にメンテナンスが得られなかったと言うことがあって、木部に干割れが多く起こり、
更に歪曲、収縮があり、響鳴板にカーブ状の陥没、金属部分には腐蝕等々、
これらの修理は大変手間取るものでした。
部品を新しく作ったり、金属部分は外註したり、材料捜し、特殊工具の制作など、
意外な処で多くの日時を費やさざる得ませんでした。
又、長椅子の著しいキズや塗装の剥がれなどを修理塗装すると、外装全体と釣り合が悪く、
足鍵、黒鍵を含めオール塗装にいたしました。従って、新品の様に生まれ変わって、
立派になっております。モーターは騒音防止のため、厚い板でケースを造り、
ホースは外に向かう様に長くして、騒音を防止するようにしました。
最終の組立調整、調律は(第1回、第2回、第3回調律)は1ヶ月以上かかっております。
結局、8ヶ月10日を要し、6月10日に完成いたしました。但し作業中の左足肉離れ、
左親指の大怪我で縫合手術を受け、1ヶ月ばかりブランクをつくってしまいましたが、
その分日曜、祭日も休まず作業を続けカバーいたしました。
完了後は、斯界の最高峰、斉藤秀美先生に試奏していただき、ご好評を得ましたので、
大変喜ばしく、感謝に溢れております。
私は90才の誕生日を過ぎ、健康に恵まれて、この大仕事を成し遂げ得たことは、最大の感謝であり、
且つ私にとっても、極めて大きな思い出となりました。
因みに、私の、この次に作りましたオルガンは、昨年秋に、浜松市立博物館に展示されることとなり、
非常に光栄に浴し、心より感謝しております。
川上 謙治